2017年02月06日

【映画】「沈黙 Silence」

遠藤周作の「沈黙」と言えば本

初めて読んだのは高校生の頃でしたビル


当時、何だか良くわからないけどすごい衝撃を受けた記憶がありどんっ(衝撃)

その後、アメリカで見つけた英語版を読んでみたりしたこともありましたが
やっぱり「何故だーーexclamation&question」という思いがぬぐえないまま数十年・・・


そう言えば以前にブログにもちょっと書いてましたね
   その時の記事




今回、マーティン・スコセッシ監督が遂に映画化したということで
高校以来の胸のもやもやを解決すべく、早速見に行って来ましたダッシュ(走り出すさま)


映画の公式サイトはコチラ


以下、あらすじです演劇

ネタばれ含みますので、何も先入観無しに観たい方はスキップしてください下



キリシタンに対する弾圧が最も激しかった江戸初期
弾圧が始まる以前から長年日本で布教をしてきた宣教師フェレイラからの連絡が途絶え
彼が棄教して日本で暮らしているという噂がカトリック教会に届きます
若き宣教師ロドリゴとガルペは、師と仰ぐフェレイラの転向を信じられず
命がけでキリシタン禁制下の日本へ渡る事を決意します

マカオで出会った日本人キチジローの案内で日本に辿り着いた二人を迎えたのは
弾圧を逃れて秘かに信仰を守ってきた村人達でした
彼らは、宣教師が日本から居なくなってから
自分たちだけで礼拝を行い細々と信仰を守ってきました
しかし、指導者不在の中で見よう見まねだけの信仰は少しずつ変容を見せていました

そんな時に現れた本物の宣教師に村人達は喜び
ロドリゴとガルペもまた人々に必要とされる事にやりがいを覚えるのですが
弾圧を恐れて山奥の小屋に潜伏したままの生活では
福音を広く伝えるという宣教師の使命を果たすことはできず
また、師フェレイラの行方を捜す事もできません

葛藤し、ほんの少しずつ行動範囲を広げていく2人ですが
潜伏していた村に役人の捜査の手が伸び
世話になっていた村の長老以下3人が目の前で無残に処刑されてしまいます

これ以上村に留まれば村人全員の命が危険に晒されると判断して
ガルペと別々に村を出たロドリゴの前に、キチジローが現れます
キチジローは元々キリシタンでしたが、役人の取り調べに遭い
家族が皆信仰を捨てずに処刑される中
自分だけが踏み絵を踏んで生き延びた過去を持っています
「自分の罪を許してください」と告悔するキチジローですが
キチジローの密告によりロドリゴは役人に囚われてしまいます

取り調べを受け、棄教を迫られるロドリゴは
頑なに信仰を捨てようとはしません
そんな彼に、長崎奉行所の井上筑後守は
ロドリゴが信仰を捨てなければ日本人の信者を処刑すると迫ります

目の前で拷問される無辜の信者たちの姿を見、うめく声を聞いて苦しむロドリゴは
「何故神は沈黙しているのか」と・・・


上あらすじ終わり




映画「沈黙」すっごく良かったですexclamation×2

いかにも感動的な場面とか盛り上がるBGMとかは全然無いのですが手(パー)
とてもとても感動しましたぴかぴか(新しい)


主役のアンドリュー・ガーフィールドも良かったけどグッド(上向き矢印)
(悩める美しい瞳にうっとりします顔(メロメロ)


日本人キャストも素晴らしかったですClap


窪塚洋介の汚れっぷりは4D上映じゃないのに臭いそうだったし
浅野忠信のいい人なんだか嫌味なんだかわからない通辞も
イッセー尾形の物腰は柔らかいのにえげつない事を命じる奉行は
「こういう上司っているexclamation」と思いました
塚本晋也監督の体を張った芝居は鬼気迫るものがありましたよもうやだ〜(悲しい顔)



キリスト教の信者でなくても、見終わって色々な思いが残る作品だと思います手(チョキ)




ここからは私の感想ですかわいい


「沈黙」を読んだ時、私も主人公のロドリゴと同じ様に
「もしもこの世を作った神様という存在が居て、全知全能だと言うなら
 何故この世にはこんなに悲惨な出来事が多く
 何の罪も無い弱い人々が苦しんでいるのに
 神様は何も言わず何も助けてくれないのだろうか」と思いました失恋


今まで生きて来た中で、とても辛い時や苦しい時には
「神様なんているならぶん殴ってやるから出てこい犬(怒)」と思った事も有ります


きっと幾多の苦しむ人々が同じ問いを叫んできただろうに
どうして神様はただ沈黙しているだけなのかと・・・


今回の映画には、原作には無いエンディングが付け加えられていて
その辺にスコセッシ監督の考えた「答え」が提示されているのかもひらめき



それとまた別に、原作者の遠藤周作が「沈黙」について
その発表直後に講演会で語った内容が残されていて
今回の映画公開に合わせて出版社の新潮社がその音源を
3月末までの期間限定で無料公開しています演劇


新潮社・遠藤周作「『沈黙』について」講演音源無料公開ページ

http://www.shinchosha.co.jp/book/112315/#b_section01



50年も前の録音ということですが、とてもきれいな音源です

これを聞いて、私はとても腑に落ちた感じがしました手(グー)



長崎旅行中に偶然「踏み絵」を見た遠藤周作が
後に結核の療養中の病院で、その時の「踏み絵」が心に浮かび
生み出された物語が「沈黙」だったのだそうです病院
登場人物のフェレイラや井上筑後守は実在の人物ですし
主人公のロドリゴにもモデルとされる宣教師がいた様です

実在のフェレイラについて



遠藤周作が言うには、これまで「殉教者」は尊敬され歴史に残されてきたけれど
踏み絵を踏んだ「転び者」がその後の人生をどう生きたのかは誰も語ろうとしなかった
人々の記憶からも歴史からも抹殺され、自らも沈黙を守った彼らを
その沈黙の中から呼び起こしたかったのだとか目



人生の中では誰もが「踏み絵」を踏むことがあるのだと作者は言います
遠藤周作自身も戦争を体験する中で、踏み絵を踏んだ事が有るし
戦争後も何度も踏み絵を前にしたのだと言うのですアート
戦時下、「お国のために」という圧力の中で
本来の自分の信念とは違う事をさせられた人が多くいたのですよね
最近の世界の動きを考えると、「過去のこと」とは思えない怖さがあります爆弾


何か大きな力の前で、人は自分が大切にしてきたものや
自分が求める美しいものを捨てる様に強いられる事があります
例えどうしようもなく弱い自分を露呈して
今まで大切に守ってきたものを全て捨てざるを得ないことになっても
それでも人は生き続けて、何かを求め続けていかなくてはいけない四葉



そういう時に信仰を持つ人なら、「神様が共にいる」と思うのかもしれないですねひらめき

あしあと」という詩みたいに足


どんなに辛く苦しく孤独な時でも「神様が共にいる」と思えるかどうか
信仰というのはそれを生涯問い続けていくことなのかなと思いました本
絶望の淵を歩む時にも、弱い人間としてのありのままの自分を
神様が愛してくれていると感じられることこそが「神の恩寵」なのかもしれませんぴかぴか(新しい)



では、私の様に特定の信仰を持たない人間はどうすれば良いのか?


学校でも会社でも社会の中でも、小さな「踏み絵」は沢山有る気がします
私もきっとこれまでに何度も踏み絵を踏んできたし
これからも踏むことになるのかもしれません犬(足)


もしかしたら、自分の生命や存在自体が脅かされる様な事に直面して
自分の根っこの部分までが根こそぎ奪い去られてしまう様に感じるかもしれないし爆弾

「自分は何のために生きて来たのか」
「自分はこれからどうやって生きていけば良いのか」と
迷いの闇に閉じ込められてしまうかもしれないけどバッド(下向き矢印)


それでも私は「自分」として考え、踏み絵を踏んだ足と心の痛みを抱えて
生き続けていかなくちゃいけないのだと思います手(グー)
痛みと共に生きることが私にとっての「沈黙」の意味なのだと思っています本










ニックネーム 雨 at 16:51| Comment(2) | エンタメ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
雨さんの文章を読んでいて、何故だか涙が出て来ました。中学生の頃に遠藤周作さんの作品と出会い、主人と結婚したきっかけも遠藤周作さんです。本籍が鳥取だと最近知り、更に興味深い人物になりました。映画はまだ観ていませんが、どのような作品になっているのか楽しみです。
Posted by JUNJUN at 2017年02月09日 12:27
>JUNJUNさん
 ご主人との結婚のきっかけが遠藤周作って、何だか文学青年と少女の恋みたいで素敵ですね本
何の作品がキューピッドになったのでしょうか揺れるハート

遠藤周作は豊島区生まれで少年時代は満州に居たというのは知ってましたが、本籍が鳥取だったとは知りませんでしたひらめき
ご縁というのは思いがけないところにあるものですね四葉
Posted by 雨 at 2017年02月09日 13:02
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